日本最北限。四百年の歴史を持つ 奥久慈茶
奥久慈茶のはじまり


大正三年に開催された東京大正博覧会
で見事「銀牌」に輝いた。

 奥久慈茶は文禄二年(1593)頃に西福寺の僧が京都宇治より茶の種子を持ち帰り植栽したことに始まると言われています。江戸時代には石附兵治らの努力によって近隣に広く栽培されるようになりました。
 また、文化四年(1807)頃に宇治から製茶職人を招いて宇治流の製茶法が導入され、水戸藩の奨励もあって広く普及することとなり、明治期に製茶機械が導入されると、奥久慈茶の普及は更に進みました。
 大正三年には東京大正博覧会に出品され、銀牌に輝くなど当時から静岡や宇治と並んで良質なお茶が生産されており、昭和三年には天皇御即位記念に献上される程の高い評価を受けていました。

品質が認められたお茶


奥久慈の自然豊かな環境で育つ茶畑。

 昭和30年代には静岡で改良された優良品種の「やぶきた種」をいち早く導入し、新植や改植が進められました。
 古くから良質なお茶として知られてきた奥久慈茶は、茨城県茶業振興共進会において常に上位を占め、関東ブロックの共進会においても何度も上位入賞を果たしています。また、「手揉み茶」においても、何度も日本一の座に輝くなど多方面に渡って製茶技術の向上を図っています。

奥久慈の自然環境が生みだす濃厚な味


奥久慈茶業組合長 斎藤 秀一さんに
お話を伺いました。

 茨城県大子町は、新潟県村上市とともに、お茶を生産できる地域としては日本最北限に位置しています。
 寒暖の差が大きな気候が、肉厚の茶葉を育て、水色が濃く、香りもとても強い、そして渋みのある濃厚な味の奥久慈茶を生み出しています。
 そして、大子町の土壌に合わせた茶樹専用肥料を地元生産者組合の青年部が中心となって開発し、常に良質なお茶が生産できるよう日々努力を続けています。

日本一に輝いた奥久慈の手揉み茶


手揉み茶名人 見越政広さん


手揉み茶は、葉一枚一枚が一本の
針のように細くなり、深緑の輝き
を放つ。


手揉み茶にお湯を注ぐと茶葉が開き、
元の茶葉の形が現れます。

昔ながらの工程を守る伝統の味

 奥久慈茶を語るには、「手揉み」が欠かせません。過去三度、日本一に輝いた奥久慈の手揉み茶は昔ながらの工程を忠実に守っており、現代に伝わる伝統の味です。その工程は左表のように、九つの作業からなります。それぞれの作業に40分程度の時間が必要であり、お茶として完成させるには丸一日かかります。
 そして厳選された茶葉を長い修行と経験を経た名人がお茶に仕上げていきます。全国手揉み茶技術競技大会で日本一になった見越政広さんはおっしゃいます。「肥料の入り方、摘み取られ方など、茶葉の特性を指先で感じながら、一番おいしくなる状態に仕上げていくのが職人の仕事」。実際にその工程を見ていると、同じ作業の繰り返しのように見えて、少しずつリズムや力の入れ方が変わっていくのがわかります。40分にも及ぶ一連の作業の中で、お茶の状態が次第に変わっていくのが実感できるでしょう。名人の指先の力強くもしなやかな動きと体全体で創り出すリズムは、見ていて飽きるということがありません。最終的にはお茶の葉一枚一枚が一本の針のようになり、深緑の照りが出た状態になっていきます。でき上がったお茶は、まさしく芸術品と言っても過言ではありません。

和紙が吹き込む豊かな香味

 甘み渋みは茶葉の出来が大きいと言いますが、香味については作業台である培炉(ホイロ)に張られた和紙により変わってくるとも言います。奥久慈では昔から常陸大宮市山方地区で作られる「西ノ内和紙」を使うことによって、豊かな香味をお茶に吹き込むのだそうです。

手揉み茶名人の技を間近で体験『奥久慈茶の里公園』


数寄屋造りの本格的なお茶室。奥久慈茶の里公園

 大子町にある『奥久慈茶の里公園』では「茶摘み」から「手揉み」まで、茶づくりを体験することができます。インストラクターは当地の手揉み茶名人が務めてくれます。また、数寄屋造りの本格的な茶室では、実際にお茶を楽しむことができます。こちらでは抹茶の点て方、煎茶の飲み方などのレクチャーも行っています。

大子町の茶葉を100%使用「奥久慈茶 元氣緑」
有効成分が多く、健康、若さの維持につながることから「元氣緑」と名付けられました。 道の駅 奥久慈だいご、だいご味らんどなどで発売中。

奥久慈茶の販売に関する問い合わせ先 奥久慈茶の里公園

住/茨城県久慈郡大子町大字左貫1920
℡/0295-78-0511
営/9:00-17:00
休/毎週水曜日、12/31、1/1
【アクセス】常磐自動車道・那珂ICから国道118号で約1時間

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